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東京高等裁判所 昭和52年(う)2404号 判決

被告人 岩切正男

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮一年六月に処する。

この裁判が確定した日から三年間右の刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人笠井盛男及び同松本昭幸が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

第一控訴趣意中、事実誤認ないし法令適用の誤りの主張について

一  事実関係

所論にかんがみ、一件記録を精査検討してみるに、原審で取り調べられた各証拠によると、以下の事実が認められる。

1  秀和めじろ台レジデンスの構造

東京都八王子市椚田町一二一〇番地にある秀和めじろ台レジデンスは、東西の間口が約七六・八メートルで、南北の奥行が北側通路及び南側ベランダを含めて約一二・六六メートルの、H型鉄骨プレキヤストコンクリート造り一一階建共同住宅であるB棟と、いずれも、南北の間口が約六〇・七メートルで、東西の奥行が西側通路及び東側ベランダを含めて約一二・六六メートルの、一一階建共同住宅であるA二号棟並びにA一号棟との三棟が「凹」字形に接して構成されている、総戸数三七四戸の高層集合住宅であつて、被告人は昭和五〇年一一月二二日当時このB棟六階にある六一四号室(以下「被告人居宅」という。)に居住していたが、その北側には幅員約一・五六メートルの六階北側通路が東西に走つており、右通路は、その北側に手摺が設けられているだけで直接外気に晒されているところ、被告人居宅の北側の付近でA二号棟の六階西側通路と直角に交差し、この地点以東においてA二号棟の南側側壁と対峙している。すなわち、A二号棟の南側側壁は、幅員約九・八メートルのコンクリート造り側壁と東側ベランダの南端にある幅員約一・三メートルの遮断壁とから成り、これがB号棟北側通路の北側手摺との間に約〇・六五メートルの間隔を置いて設置されているが、この間隔は、建物の最上部においては、右二棟の建物の一一階屋上からそれぞれ突出している庇によつて狭められ、右各庇間の間隔は〇・〇六五メートルに過ぎない。

2  被告人居宅の構造

被告人居宅は、東西の間口が約六・四メートルで、南北の奥行が南側ベランダを除くと約九・八メートルの三LDKであり、その中央部に東西約六・四メートル、南北約二・八二メートルのリビングキツチンがある。そして、被告人居宅の天井(その真上にある七一四号室の床)及び被告人居宅の床(その真下にある五一四号室の天井)は、いずれも、スラブ、すなわち、プレキヤスト鉄筋コンクリートで造られ、これがジヨイントやアンカーによつて建物本体の梁骨に結合されている。

3  本件ガスカランの構造

被告人居宅のリビングキツチンの南側壁下端付近には、壁型埋込二口ガスカランが埋め込まれているが、その形は、横約一五・一センチメートル、縦約八・八センチメートルの金属板の中央に、円形の回転式閉止ハンドルが突き出ており、その左右に各一個のゴム管口が設置されているものである。そして、このカランは、使用しないときには、各ゴム管口が壁面に沿つて垂直下向きになつており、かつ、閉止ハンドルの直経をなす、つまみ(一文字型の突起)も壁面に沿つて垂直に位置し、その頂点、すなわち、白色矢印の刻印が真上を指しているが、右カランを使用するときには、まずゴム管口を手前に起こして水平(壁面に対して直角)にした上、閉止ハンドルを回し、つまみの頂点(前記矢印刻印)を右真横に位置させると、右側ゴム管口からガスが噴出し、これを左真横に位置させると、左側ゴム管口からガスが噴出し、これを真下に位置させると(この場合には、つまみそれ自体は、不使用の場合と同じく、壁面に沿つて垂直に位置している。)、左右の各ゴム管口から同時にガスが噴出する構造になつていて、以上のことがらは、前記金属板上、閉子ハンドルの周囲において、真上に「止」、真下に「両開」、左右にそれぞれ「左開」・「右開」と刻印され、通常人ならばだれでも容易に右操作方法を理解し得るような表示が明瞭に刻み付けられている。

4  電気冷蔵庫の存在

前記リビングキツチン内には、その北西部に、日立製作所R四一一〇型電気冷蔵庫が置いてあり、これにF一六形サーモスタツトが取り付けられ、庫内温度に応じて自動的に通電や電流遮断が行われるようになつているが、この点滅の際に生ずるアークによつて電気火花が生ずることがある。すなわち、右冷蔵庫の起動リレーがON又はOFFに切り換わるに際し、微弱ではあるが火花が出る構造になつている。

5  被告人は昭和四八年八月妻洋子と共に被告人居宅に入居し、そのとき始めて壁型埋込二口ガスカランに接し、その後ときどき洋子が右カランを用いてガスを使うのを目にしたことがあるけれども、右カランの構造や使用方法について、他の者から説明を聴いたり、説明書を読んだりしたことは全くなく、その金属板上の前記表示を確めたこともなかつた。従つて、右カランの使用方法については全く無知であり、又、本件事故のときまでに、みずから右カランに手を触れたことも全くなかつたものである。

6  被告人は昭和五〇年一一月二二日午後所用から戻つたのち、風邪気味のため被告人居宅で就寝し、同日午後八時ころ目を覚ましたが、空腹を感じ、たまたま被告人居宅は妻子が外出していて被告人の他には誰もいなかつたため、自ら食事の仕度にとりかかつた。そして被告人は、前記リビングキツチンで鋤焼をしようと考え、そのため前記二口ガスカランから卓上ガスコンロにガスを引こうとしたが、その際被告人は、右ガスカランは、通常の壁型埋込一口ガスカランと同様、閉止ハンドルのつまみを水平にすればゴム管口からガスが噴出するけれども、右つまみを壁面に沿つて垂直に位置させさえすれば、いずれのゴム管口からもガスの噴出が完全に閉止されるものと安易に思い込んでいた。

7  そこで、被告人は、まず、前記二口ガスカランの左側ゴム管口を起こして水平にした上、これと卓上ガスコンロのゴムホースとを接続し、閉止ハンドルのつまみを右に九〇度回してから、卓上ガスコンロの点火スイツチを入れたけれども、この二口ガスカランが前記のような構造になつていたため、卓上ガスコンロには火が付かなかつた。しかし、被告人はそのとき、左側ゴム管口に異物がつまつているためガスが出て来ないものと思い、左側ゴム管口から前記ゴムホースを外し、今度は右側ゴム管口を起こして水平にした上、これに前記ゴムホースをはめ込み、卓上ガスコンロの点火スイツチを入れて、このコンロに着火させた。

8  被告人は、その後、前記冷蔵庫から鋤焼にする牛肉を取り出そうとしたが、冷蔵庫の中には牛肉がなかつたので、冷蔵庫の扉を閉じ、食事を断念してしまつた。そこで、被告人は、ガスを止めようと思つたが、その時点においても、被告人は依然として、前記ガスカランは、閉止ハンドルのつまみを壁面に沿つて垂直に位置させさえすれば、左右の各ゴム管口のいずれからもガスの噴出が完全に閉止されるものと思い込んでいたため、そのまま直ちに(すなわち、右ガスカランの操作方法を確認することなく)、このつまみを更に右に九〇度回し、つまみの頂点(前記矢印刻印)を真下に位置させた上、前記ゴムホースを右側ゴム管口から外し、そのままの状態、すなわち、ゴム管口は左右とも水平に起こされ、かつ、この左右のゴム管口から同時にガスが噴出している状態(両開の状態)に放置したままで、ソフアに横になつていたが間もなく眠り込んでしまつた。その間被告人は左右のゴム管口からのガスの噴出音や臭いにも全く気付かなかつたのであるが、これは、被告人が前記のとおりガスは完全に止めたと思い込んでいたことや、被告人が当時風邪気味で感覚機能が低下し、殊にこのため、かねてから鼻が悪いのに加えて嗅覚が鈍磨していたことと、間もなく寝入つてしまつたことなどによるものと推認される。

9  以上の経緯により、被告人居宅内に次第にガスが充満するに至つたところ、翌二三日午前二時頃前記電気冷蔵庫のサーモスタツトの作動により発生した電気火花により、それまで被告人居宅内に溜つていたガスが着火爆発したものであるが、かように電気器具のサーモスタツトの作動により電気火花が発生すること及びそのためガス爆発事故が生ずることは、かなり以前から社会一般に知られており、昭和四五年一〇月ころから通商産業省公害保安局工業保安課、工業技術院公害資源研究所及び工業品検査所が高圧ガス保安協会、日本ガス検査器協会及び日本電気工業会の協力の下に実験を行い、その結果が公表されていることからしても、本件事故当時既に公知の事実であつたと認められる。

10  右爆発による衝撃のため、被告人居宅の天井と床とを構成しているスラブ、すなわち、プレキヤスト鉄筋コンクリート板の一部が吹き飛び、そのため、B棟五階五一四号室とB棟七階七一四号室と被告人居宅とが一個の空間を構成するに至り、この空間が前記ガス爆発によつて炎上し、そのため、前記岩切洋子(被告人の妻)及びその長女岩切菜穂子が現に住居として使用している被告人居宅と井場きくよ及び中野一栄が現に住居として使用している前記五一四号室と森実尚子が現に住居として使用している前記七一四号室が全焼し、また、その周辺の各室においては、右衝撃により窓ガラスなどが飛散した。

11  更に、右火災によつて生じた煙と熱風とが、B棟北側通路とA二号棟南側側壁との間の前記空間に流入した上そこを上昇し、前記の各屋上庇に行手を阻まれた結果、B棟一一階にある一一一三号室及び同一一一四号室に流れ込み、その結果、以上の爆発の衝撃、火災、火災による煙や熱風に見舞われたB号棟居住者のうち、

(一) 七階七一四号室にいた森実尚子(昭和二九年八月生)は、突然猛火に襲われたこととか、同室の玄関扉が開けられなくなつたことなどが原因となつて、同室内に閉じ込められたまま、右火災による一酸化炭素中毒及び火熱のため、その頃同室内で死亡し、

(二) 一一階一一一四号室にいた豊田聰子(昭和一七年一〇月生)は、同室内に流れ込んだ煙に巻かれ、その結果一酸化炭素中毒のため、その頃同室内で死亡し、

(三) 六階六一五号室にいた室田博(昭和二八年一月生)及び前記一一一四号室にいた豊田由紀(昭和四七年七月生)は、いずれも、前記爆発による衝撃又は逃げる際の転倒により、それぞれ原判示のとおりの傷害を受け、

(四) 七階七一五号室にいた三好祐介(昭和三四年一月生)は、前記爆発による衝撃で同室内に飛散したガラス破片を浴びたため、原判示のとおりの傷害を受け、

(五) 一一階一一一三号室にいた姉崎静(大正八年一月生)及び同姉崎武定(大正三年九月生)並びに前記一一一四号室にいた豊田武(昭和一五年三月生)及び同豊田美佐(昭和四二年一二月生)は、それぞれ、室内に流れ込んだ煙や熱風のため原判示のとおりの傷害を受けた。

12  他方、被告人は、昭和一九年一月生の、心身に著しい異常のない男子で、昭和三七年四月駒沢大学に入学し、その後立正佼正会野球部に入り、都市対抗野球東京代表チームの一員として活躍し、更に、プロ野球東映フライヤーズに入団し、数年間その二軍投手をつとめていた者で、かかる経歴に照らしても、通常人が、有すると思われる程度の注意能力(予見可能性及び結果回避可能性)は十分に備えていたものと考えられる。

二  以上の事実関係を基礎として、本件火災及びB号棟居住者の死傷について被告人に重過失の責任を負わせるべきであるか否かについて考察する。

1  ガス噴出の予見が可能かつ容易であるか否かについて

所論は、本件二口ガスカランは、その操作方法が通常のガスカランと異つているため、誤操作の危険性が大きいのに、その操作方法についての説明が極めて簡略に行われ、かつ、その説明の表示も見えにくい位置に表示されているだけであるから、被告人がした本件二口ガスカランの誤操作は、重過失行為には当たらないと主張する。しかし、そもそも、二個のゴム管口が設けられているのに回転式閉止ハンドルが一個しか取り付けられていない壁型埋込二口ガスカランを目にしている者は、通常人でありさえすれば、何人でも、このハンドルの操作、すなわち、つまみの回転によつて、両開(二個のゴム管口から同時にガスが噴出する状態)と右開(右側ゴム管口からのみガスが噴出する状態)と左開(左側ゴム管口からのみガスが噴出する状態)と閉(左右二個のゴム管口のいずれからもガスが出ていない状態)との四個の状態が設定される構造になつていることに容易に気付くことができるはずであり、従つて、前記の両開及び閉の各状態にするためのつまみ設定位置が通常の一口ガスカランと異なつていることがあるかも知れないこと、すなわち、単につまみが壁面に沿つて垂直になつているだけでは閉の状態にはなつていないかも知れないことに、容易に考え及ぶべきものである。しからば、本件被告人のように、危険性の高い二口ガスカランを初めて、しかも、その使用方法を全く知らないまま、使用した者としては、使用後ガスを切るため閉止ハンドルを操作するに当たつては、その操作方法を確認し、正しい取扱方法に従つて操作すべきは当然であつたというべきである。しかるに、被告人は前記のとおり、閉止ハンドルのつまみを壁面に沿つて垂直にしておきさえすれば二個のゴム管口のいずれからもガスが全く出てこなくなるものと思い込み、その結果本件ガスカランの操作方法の確認を全く行わないまま閉止ハンドルを誤つて操作し、そのため、これを両開、すなわち、二個のゴム管口から同時にガスが噴出している状態に設定し、そのまま放置しておいたものであり、しかも、もし被告人が本件ガスカランの操作方法を確認しようとしさえすれば、右の確認は極めて簡単かつ容易にできたはずであることは、前記一3の事実関係に照らして明らかなところである。

2  ガス噴出に気付かなかつたことについて、

なお、所論は、被告人がガス放出音やガスの臭気に気付かなかつたことはやむをえなかつたことがらであると主張し、原判決は、被告人の前記誤操作によるガス放出状態は「少しの注意をすれば、その音によつても認識できたはずであつたのに、被告人はそれにも気づかず」にいたと述べ、このことが本件事故についての過失を構成すると考えているかの如く読み取れる表現をしているけれども、前記一8に説示のような当時の被告人の心理的身体的状態下においては、被告人がガス放出音やガスの臭気に気付くことができなかつたことも十分考えられ、従つて、この時点においては被告人に主観的結果回避可能性が欠けていたといわざるを得ないのであり、原判決も、前記文言以上に詳しく、この時点における過失の要素を摘示してはいないところからみると、この点をとらえて被告人の過失を云々しているものと解するのは相当でない。

3  ガス着火爆発の予見が可能かつ容易であるか否かについて

所論は、たとえ被告人居宅にガスが充満しても、前記電気冷蔵庫のサーモスタツトの作動による火花が火源となつて爆発現象が起こることは、通常人において予見できるものではなく、かかる通常人の一般的知見を超えた特異現象である本件爆発事故について、被告人に重過失の責任を負わせることは不当であると主張する。しかし、一般に電気冷蔵庫は、それに取り付けられているサーモスタツトの作動により電気火花が生じ、そのため、電気冷蔵庫のある室内にガスが充満すればガス爆発事故が生ずることもあり得るのであつて、かかることがらは、本件事故の当時において既に公知のことであつたことは前記一9で認定したとおりであるから、通常人ならば誰でも、電気冷蔵庫が置いてある室内にガスが充満すれば、本件のような経緯で爆発事故が起こるかも知れないということを、容易に予見することができるものというべきである。

4  被告人方居宅の床と天井とが吹き飛ぶことの予見が可能かつ容易であるか否かについて

所論は、前記B号棟の建築構造からみて、各室の天井や床が爆風に対し極めて脆弱であり、そのため本件爆発により被告人居宅の天井や床のプレキヤスト鉄筋コンクリート板が吹き飛び、B号棟五階五一四号室及び同七階七一四号室と被告人居宅とが一個の空間を構成するに至り、この空間が本件爆発のため炎上したものであるところ、これは梁と天井や床板との取付方法に欠陥があつたという建築構造上の特異性によつて生じたものであつて、建築や防災の専門家でない通常人にとつては、B号棟のような鉄筋コンクリート造高層建物がそれ程脆弱であるとは想像できないところであり、かつ、本件事故は、被告人居宅の焼燬以外の結果(B号棟居住者の死傷及び前記五一四号室と同七一四号室の焼燬)が、以上の構造上の欠陥によつて生じたものであるから、これについて被告人に重過失の責任を負わせることはできないと主張し、被告人居宅の天井や床の構造(取付方法)が前記一2のとおりであり、そのジヨイントやアンカーの材質、取付方法、取付個数の点からすると、耐爆性において若干不十分であつたことは所論指摘のとおりである。しかし、本件事故ないしB号棟建設当時における建築基準法やその附属及び関係法令並びに建設事業の実態に照らすと、鉄筋コンクリート造高層建物といえども、その中でガス爆発が起これば、爆発地点を取り巻く障壁、天井及び床板が吹き飛んでしまうかも知れないということは、通常人ならば誰でも容易に考え付くところであるといわざるを得ず、従つて、耐爆性に関する前記諸事情は、本件事故についての被告人の重過失責任にいささかも消長を及ぼすものではないというべきである。

5  森実尚子の死亡の予見が可能かつ容易であるか否かについて

所論は、前記七一四号室にいた森実尚子の死亡は、本件爆発により同室の玄関が開扉不能となつたので脱出できなかつたために他ならず、この事態は、玄関扉の取付方法が不完全であつたことによつて生じたものであるから、同女の死亡について被告人に重過失の責任を負わせることはできないと主張する。しかし、鉄筋コンクリート造建物においても、その中でガス爆発事故があれば、その真上にある居室の玄関扉が、爆発の衝撃と、右居室の床板が吹き飛んだため瞬時にして襲いかかつて来る火熱とによつて開扉不能になつてしまうことも十分考えられるところであり、このことは通常人ならば誰でも容易に思い浮かべることができるといわざるを得ず、従つて、前記玄関が開扉不能となつてしまつたことは、たとえその取付方法に不完全な節があつたとしても、森実尚子の死亡についての被告人の重過失責任に影響を及ぼし得るものではないというべきである。

6  B号棟一一階にある居室内の者が本件火災による煙や熱風に襲われることの予見が可能かつ容易であるか否かについて

所論は、前記B号棟と前記A二号棟との建物配置関係及びこの二個の建物にそれぞれ取り付けられている前記屋上庇の設置状況が特異であり、その結果、本件火災による煙や熱風がB号棟一一階にある前記一一一三号室と同一一一四号室とに流れ込んだものであるが、かかることがらは、建築や防災の専門家でない通常人において予想できることではないから、右一一一三号室と一一一四号室との中にいた者が、そこに流れ込んだ煙や熱風によつて死亡したり負傷したりしたことについて、被告人に重過失の責任を負わせることはできないと主張する。しかし、前記一5のとおり被告人は昭和四八年八月以来被告人居宅に住み、従つて、秀和めじろ台レジデンスの構造が前記一1のとおりであつたことを熟知していたと認められるところ、かような状況の下で被告人方居宅においてガス爆発事故があれば、それによる火災のため発生する煙や熱風が、行手を遮られてB号棟一一階にある一一一三号室や一一一四号室に流れ込むかも知れないということは、通常人であれば誰でも容易に思い付くところであるといわざるを得ず、右一一一三号室と同一一一四号室との中にいた者が前記のとおり本件火災による煙や熱風のため死亡したり負傷したりしたことについても、被告人は重過失の責を免れ得ないというべきである。

三  結論

以上の理由により、前記一10及び同11の結果は、すべて、前記一8のとおり被告人が本件ガスカランの操作方法を確認しないで、閉止ハンドルのつまみを操作し、これを両開すなわち左右のゴム管口から同時にガスを噴出している状態を発生させ、これでガスは完全に閉止されていると思い込んでいたという重大な過失によつて惹起されたものであり、これと同趣旨の原判決には、所論のような事実の誤認や法令適用の誤りはないから、論旨は理由がない。

第二控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論は、刑の執行を猶予しなかつた原判決の量刑は重過ぎるというので、一件記録に当審における事実の取調べの結果を合わせて考えてみると、被告人の本件重過失行為の結果、原判示のとおり、三個の居室が完全に全焼し、死者二名、重軽傷七名にも昇る人的被害をもたらしたほか、破壊又は焼失により多数の家財を喪失した被害者も少なくないことや、本件事故により死者や負傷者の本人及び親族が受けた肉体的精神的苦痛の甚大なことを考慮すると、被告人の刑責は極めて重大であるといわざるを得ず、しかも、被告人は平素からずぼらな生活態度がみられ、本件重過失の態様も、前段説示のとおり、これ迄使用したことのない構造の、危険なガス器具を取扱うのに、それに表示された注意書も確認しないで、漫然操作したことによるものであることを考え合わせると、原判決が被告人を禁錮一年六月の実刑に処したのも、あながち首肯できないわけではない。しかしながら本件過失は講学上のいわゆる認識のない過失に属し、従つて、その程度は、重過失の範疇に入るとはいえ、本来それほど悪質であるとはいえないとともに、前示のような重大な結果をもたらしたについては、前段説示のように、本件共同住宅の構造が偶々火災に伴う煙や熱風が拡散しにくい建築方式になつていたことが大きく作用しており、また、本件二口ガスカランは使用が便利である反面、操作を誤り易い仕組みになつていることが認められ、いずれも被告人にとつても誠に不幸であつたといわなければならない。そのうえ、本件事故により被告人自身も重傷を負い、家財の大部分を焼失したにもかかわらず、本件事故によつて被害を受けた者全員に対し、できるだけの被害弁償をしようと尽力し、既に、自らの火災保険金一五〇万円を被害者ら団地管理組合に提供するとともに、乏しい収入の中から毎月七万円を継続して指定の銀行に積立て、被害者の一人である室田博に対しては、別に毎月二万円を提供するなどして、右弁償をなしつつあるのみならず、死者の遺族を尋ねて謝罪するとともに死者の冥福を祈り、その他の各被害者にも十分陳謝の意を表していること、並びに被告人にはこれまで前科や犯罪歴が一切ないことなど、一件記録によつて認められる被告人に有利な、又は、同情すべき諸事情をしんしやくすると、被告人に対しては、この際は実刑に処するのをしばらく見合わせ、社会生活の中での反省自戒の機会を与えると共に、本件各被害者に対する弁償に一層尽力させることの方が、むしろ刑政の本義に沿うものと考えられ、従つて被告人に対し刑の執行を猶予するのが相当であると認められる。従つて、原判決の量刑は、重過ぎて不当であるというべきであるから、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に次のとおり自判する。

原判決が確定した事実に原判決挙示の各法条を適用した刑期の範囲内で被告人を禁錮一年六月に処し、前記諸事情を考量の上刑法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により、これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決をする。

(裁判官 四ツ谷厳 山本卓 杉浦龍二郎)

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